コンピュータ将棋にみる人間とコンピュータの今と未来
お久しぶりです。
最近、TwitterをみていたらPonanzaの山本さんの呟きに色々考えさせられました。
そのTweetがこちら
人工知能に仕事が奪われるといいながら、『仕事したいのですか?』と聞くと皆一様に押し黙る謎み。
— 山本一成@Ponanza (@issei_y) 2018年2月22日
AI(という呼び方は嫌いなのですが)によって失業者が増えるという話は最近色々なところで聞きますね。
でもこれ、今に始まったことなのでしょうか。
コンピュータ将棋の界隈ではよく、人間が走っても車に勝てない(から棋士がコンピュータに負けるのは仕方ない)という話がされます。
現代っ子な私たちは車に負けるのは当たり前と受け入れていますが、
車が開発された当時は現代と同様に受け入れられていたのでしょうか?
人の職業が機械にとって変わられるというのは今に始まったことではありません。
歴史を見ると近代化によって失職する、あるいは雇用条件が悪化するということは200年以上前から起きています。
現代にとって当たり前に受け入れている便利なものは、それが出てきた当時の人にとっては失業を引き起こす原因であったわけです。
しかし、これらは受け入れられ現代に至っているわけです。
なぜか?
私は価値の変化によるものではないかなと思っています。
将棋界では昨年、Ponanzaが佐藤天彦名人に勝つことでコンピュータ将棋が人間を越えました。(実際はもっと前からではとかは今は触れません)
ではそれによりプロ棋士という職業はなくなった、あるいは価値が下がったでしょうか。
羽生さんや、藤井聡太六段の活躍によってより一層、人気が出ているのではないでしょうか。
これが価値の変化だと私は考えています。
今までは将棋が強いということに棋士の価値があったものが、より強いコンピュータ将棋の登場によって棋士本人の人間性やキャラクター、
指す将棋の芸術性に価値が置かれるようになったと考えています。
つまり、コンピュータが人間を越えた時点でそのことにおける人間の価値は減ると考えます。
一方で、コンピュータに出来ることが増えるということは、人間にしかできないことにはこれまで以上に価値が出るのではないかなと思っています。
今後はもっと演劇とか音楽とか文化的なことに需要が増えて、それにお金を払う人も増えて、それを職業にする人も増えていったらいいなぁと思います。
ではこの辺で。